2012年04月30日

東日本大震災第4次ボランティア

こんにちわぁ(^o^)/とてもじゃないけど募集かかってた日程では、ボランティアにいけなかった明日羽未来です。


ボランティアセンターの事務局の方や関係者の方々に感謝します。ありがとうございましたm(_ _)m


さて、27日〜30日夜の日程で宮城県石巻にボランティアに行ってきた報告をします。30日の午前0時頃に起きた地震はビックリ(・_・)エッ..?しました…震度3の揺れでしたがもっと大きい揺れに感じました。その要因には、地盤が緩んでることがあるそうです。


ボランティアの内容は、在宅被災者を訪問して住んでいるのかいないのか…住んでいたらどういう要望・要求があるのか?など聞き取り調査をしました。またその中であの震災から1年とちょっとたった今、「あの時、ここまで津波がきたんちゃ…でもまさかここまでくるとは、思わんかった」と、あの時のことを話してくれました。結構話し合いが続く中であるグループでは、あの辛い記憶を言葉が詰まりながらも話してくれる被災者に「なぜ(ボランティアに来た人に)話してくれるのですか?」と訪ねてみたら応えてくれたそうです。

『あの震災の事は、つらくてつらくて…でもあの時の真実を知ってほしくて…』と。
在宅被災者の抱えてる悩みは、複雑で仮説住宅に移った人との配給の差、自己負担の大きさ、治安の悪さ、行政の対応への不満などでどれをとってもそこで生きていく・生活していく上での不安なことばかりでした。


まだまだ今回の経験や思ったことはありますが石巻で出逢ったあるおっちゃんの一言で締めたいと思います。


『また来てみてください。1年後でも2年後でも5年後でもいい!!あの時よりここまで復興したんだと感じてほしい(‘o‘)ノ』


つづく…かな(-.-;)
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2010年10月24日

イラクの子どもを救う会の西谷さん

ご無沙汰しすぎてすみません。ダッシュ(走り出すさま)たらーっ(汗)あせあせ(飛び散る汗)
9pqです。

企画のお知らせです。目
自分はいけないですが、いける方で関心のある方はぜひ!

以下は、西谷さんによるメール配信の記事の貼付けです。


みなさん BCCでお伝えしています。重複ご容赦ください.
20日の夜、無事アフガニスタンから帰国しました。
途中、秘密警察に尋問されることもありましたが、まぁ順調に取材できました。
11月4日、大阪・南森町の「グリーン会館」にて、帰国報告会を行います。
アフガンの最新映像をご覧いただき、日本が支援する50億ドルが、本当に困っている人々に届くよう、監視運動を強めたいと思います。
日本は自衛隊の医務官などを、アフガンに送る計画を立てているようですが、自衛官では狙われるので、丸腰のNGOの方が人道支援には向いていると思います。
いずれにしろ、あまりにも議論されずに、あまりにも多額の金額が支出されます。自衛隊にしても、ほとんど議論されずに派兵されそうです。
まずは現状をご覧ください。関西地方の方、お時間調整がつけば、ぜひ。
日時:11月4日(木) 午後6時半より
場所:大阪グリーン会館 地下鉄谷町線「南森町」駅下車、JR東西線「天満宮」駅下車5分
入場料は無料です。
posted by ツッキ− at 11:06| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月26日

原水爆禁止世界大会報告会

先日の原水爆禁止世界大会報告会は、民青から12人、堺平和委員会やいずみ生協、堺教組から5人が参加しました。

大阪原水協の山崎さんの学習のあと、民青同盟員五人が世界大会の報告をし、最後に参加者全員が一言発言をしました。

世界大会参加者の報告では
「核も基地も根本は同じ」
「核の本質に反対することが大事」
「経験していない自分達がどう広げていくか」
「今後どう活動していくか考えている」
など、核廃絶の思いとどう伝えていくかについて真剣な思いが語られました。

全員発言では、各団体の方々から
「被爆者の話をそのままではなく、それを聞いて自分がどう感じたかを伝えることが大切」
「一つずつ活動を積み上げることが大事」等の思いと共に
「初心にかえれた」「刺激になった、来てよかった」
など平和を一致点に青年もベテランもそれぞれの思いが共有され高まりあい、会場が熱い空気に包まれました

◎地区として今日の経験を生かして、宣伝、署名活動等を進めて行きたいと思います。
報告会参加のみなさんご苦労様でした。

以上、大阪ボーイでした。
posted by ツッキ− at 13:15| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月12日

Re:

原水禁に参加した人たちに感想などを書いてもらっています。
随時アップしていきたいと思います。

S地域班のOさんの感想です。


>今回、原水爆禁止世界大会への参加は二回目でした。
>今回、全国各地の宣伝、署名活動の仕方というのに関心しました。
>歌を歌って注目を集めるやり方を聞いて、思いもしないことでびっくりしました。
>それ以外にも、沖縄の宜野湾の学校の窓が防音の為にガラスを二重にしていると聞いて、米兵が沖縄に与えている影響がどんなものかを認識できた。
>
>今回は「核廃絶の為にどんな運動をしているのか」というのを特に聞きました。
>歌を歌うのもそうですし、東京から広島までを核兵器廃絶を訴えながら歩いて来たっていう話も聞きました。
>そういう話を聞いて核兵器廃絶を訴える活動はいろんなやり方があるのだなと思いました。
>
>原水爆禁止世界大会に何十年も参加している人たちや初めて参加した人たちの強い想いを少しでも感じれたと思います。
>
>
以上大阪ボーイでした。
posted by ツッキ− at 19:01| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月08日

遠き昔?1941年12月8日

1941年12月8日、太平洋戦争が始まりました。
始まったといえば自然に起こったような聞こえになってしまいますね。
正確には、始められました。今から68年前の出来事です。

68年といえば遠い昔の事だと思われるかも知れません。

しかし、68年前に始まった戦争と同じ事が今も地球上で続けられています。日本では戦争は過去の事になっていますね。

でも、実際はどうでしょうか?

「太平洋戦争は亜細亜開放の為にやった」「あの戦争は正しかった」「北朝鮮の脅威に備え軍隊を持つべきだ」と言った声が戦後六十余年経つ今も根強く残っていたり、戦時中と変わらぬ言論弾圧事件が起こったり、戦闘機や戦艦を日本は数多く保持しています。そして、戦争の為にヒロシマ・ナガサキで被爆(被曝)された方が今なを集団訴訟で闘っています。他にもシベリアに抑留された方々も国家賠償訴訟で闘われています。そして、戦勝国の基地が日本各地にあり「思いやり予算」という血税が米兵や米兵家族の為に使われています。本当に戦争は過去のものなのでしょうか?

「戦争は悪だ、だが自分には関係がない」という考えも少なくないと思います。

本当にそれでいいのでしょうか?
今、また軍靴の音がゆっくりと迫っているのでは無いでしょうか?

憲法9条は絶対に守らなければなりません。
再び、日本人が戦争の名の下に人を殺し、殺されてはなりません。
もちろん、日本人以外の全人類もです。その平和な世界の建設という事業への皆さんの参加お待ちしています。

(プロレタリアアーティスト)
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2009年11月17日

沖縄戦・戦跡学習会

遅くなりましたが、先日M病院班の班会でした沖縄戦の戦跡学習会について内容報告を載せたいと思います。

M病院班では、来年に沖縄ツアーを計画しており米軍基地や沖縄戦について学習を重ねています。

その中で私が担当したのが戦跡でした。


ご存知の方も多いと思いますが、沖縄では第2次世界大戦中に日本唯一の地上戦と呼ばれる戦争がありました。

1945年3月26日、米軍は慶良間列島に上陸。
ここでは今もたびたび問題としてあがっている自決が起こりました。
私は何年か前に慶良間列島の一つの島・座間味島でダイビングをしたことがありますが、本当にきれいな青い海で魚やカメがゆっくりと泳いでいる素晴らしいところでした。
そのときにはここに米軍が押し寄せてきたなんて全く知りませんでしたが・・・。

1945年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸。
あっという間に北進、北はスグに米軍の指揮下になりました。
南には、軍の司令部があって守りが堅く、6月末までの約3ヶ月間、民間人をも巻き込んだ壮絶な戦闘が繰り広げられました。

戦跡としては多くの場所が残る沖縄ですが、今回は病院班での学習会ということもあり、沖縄陸軍病院壕についての話を多めにしました。


沖縄陸軍病院はもともと那覇市内にありましたが、1944年10月10日の空襲で施設が焼失し、南風原(はえばる)国民学校校舎に移転していました。
そして、有名なしらゆり学徒隊が看護活動に従事していました。

しかし、度重なる艦砲射撃によって校舎でも危なくなり、近くの山に壕を何本も掘り、そこに病院の機能を移転しました。

病院といっても、薬品類はほとんど残っておらず、麻酔なしで負傷兵のけが部分の切断手術を行っていたそうです。
また、手術場も充分な広さはなく、壕と壕の交差点が他より少し広くなっており、そこが「手術場」でした。

また、壕の内部には2段ベッドがずらっと並んでおり、そこに負傷兵がたくさん収容されていました。

1945年5月下旬
首里方面から摩文仁へ撤退する軍より陸軍病院はじめ各野戦病院への退去命令が出されました。
撤退が許されたのは回復の見込みがあるとされた負傷兵のみでした。
一人で歩くことができない重症患者に対しては、青酸カリが渡されました。
置き去りにされたり、毒殺されたり、自決を強要されたという証言は多数あります。



国土決戦教令(大本営陸軍部 1945.4.20)
第2章 将兵の覚悟及び戦闘守則
第11 決戦間傷病者は後送せざるを本旨とす

負傷者に対する最大の戦友道は速やかに敵を撃滅するに在るを肝銘し
敵撃滅の一途に邁進するを要す
戦友の看護、付添は之を認めず
戦闘間衛生部員は第一線に進出して治療に任ずべし


このようなものが、命令として出されていました・・・
一人の意思ではなく、国として動いていたのだということがわかります。


この他にも、沖縄各地にある様々なガマの中で、同じようなことが起こっています。


昨年、沖縄戦跡めぐりに現地の人に案内してもらって行ってきました。
そのときに感じたことは、言われなかったら気づかないほどに当たり前に戦争が残っているということです。
沖縄では、戦跡として特別に扱っているわけではなくても、ごく当たり前に戦争が存在しています。
その意味を大阪に住んでいる自分たちは遠いところの問題ではなく、自分たちの問題として捉え、考え、伝えていかなければならないのではないかと思いました。


ぜひ地区としても平和活動に力を入れていきたいなと思います。

長くなりましたが
ひよっこナース


posted by ツッキ− at 15:53| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月14日

終戦記念日を前に

明日8月15日は終戦記念日です。ほんの64年前まで、日本が戦争をしていた事が嘘のように今は平和です。 他国に戦争を仕掛けたり、攻められる事もなく時は経ちました。



しかし、今の日本の社会で戦争を意識する事がほぼ皆無に等しいくらいありません。 たまにテレビで放送されるぐらいで、あまり戦争と言われてもピンっとこない人が大半だと思います。
私は、その今が一番恐い時期だと思います。 なぜなら、今の平和な社会を壊し、戦争への道を歩もうとしている人達にとっては、正に狙い目となるからです。
戦争が始まれば、国民が戦場に駆り出されます。その国民が、戦争に対しての知識があれば、必ず反対する人達が出てきます。 戦争をして得をする一部の人達にとって、知識のある人間は邪魔な存在です。 そんな邪魔をさせない為には、無知の人間を大勢つくる事が一番手っ取り早い訳です。



日本が戦争当時、国民皆が無知な状態にさせられ『日本は必ず戦争に勝つ 神風が吹く』と教育されました。  戦争というものにルールなどありません。戦争に勝つ為には、国民を皆、無知な状態にさせ、命を犠牲にするのは当たり前というのが、正しい。逆らう者は非国民とレッテルをはり、戦争する事が正しいと洗脳させられました。 そういった事が、歴史的事実としてある訳です。



つまり、戦争を学ぶという事は平和な社会を守るという事に繋がります。 例え、この世に核兵器がなくなり、戦争がなくなったとしても、戦争については、永遠に人類が学び続けないといけない必須科目だと思います。
日本には、まだまだ戦争体験者がいます。その人達に学ぶ事は山ほどあります。 この機会を逃してはいけないと思います。




平和ボケは、未来社会にとっては恐ろしい事なのかもしれませんね・・・・。


旨いんぼ
posted by ツッキ− at 22:07| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月20日

第五福竜丸について

今日は高校生のピース企画に参加。
第五福竜丸の乗組員・大石又七さんの貴重なお話。

ほんの一部ですが報告です。



1954年3月1日ビキニ環礁

約1000隻の日本の漁船が、アメリカによる水爆実験によって被爆した。

そのうち最も近くで被爆したのが第五福竜丸。
乗組員達は水平線が真っ赤に染まる様子を眺めながら、何が起こっているのかは全くわからなかった。
それもそのはず、ヒロシマ・ナガサキでの原爆被爆の実態はアメリカ・日本政府の情報統制によって、当時の日本国民には知らされていなかったのだ。

第五福竜丸の乗組員達は、帰港後、高値の放射能を検出。被爆の実態が明らかになった。

そして汚染された魚、雨などが次々と明らかになり、安心できる暮らしを求めて国民(特に母親)が立ち上がった。

そのとき、日本の成人の半数以上が原水爆禁止の署名に協力し、なんと3千万の署名が集まった。
そして1955年8月6日、第1回原水爆禁止世界大会が開かれた。

一方、乗組員達は見舞金(保障金ではない)をもらい、被爆したがもらえなかった漁師仲間や近所の人からの羨望というよりもねたみを受けた。
しかしその見舞金によって事件は解決となり、被爆者であるという主張をできなくなった。


今年、アメリカのオバマ大統領が核廃絶を掲げた宣言を行った。
世界は核のない平和な社会を目指して確実に動き出している。

世界の流れを感じ、自分も何かしたいと思えた。
全ての国が核を持たない、作らないときがくることを願おう。

第五福竜丸の久保山愛吉さんが亡くなるとき、
「原水爆による被害者は私を最後にしてほしい」
と言ったそうだ。

今年の原水爆禁止世界大会は長崎で行われる。
共に参加し、堺泉北でも流れを作ろう。


(気まぐれに書いてみた、ひよっこナース)
posted by ツッキ− at 21:28| 大阪 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月07日

阪神にサヨナラ負け

我らが広島東洋カープは阪神にサヨナラ負けを喫しました・・・。
今季初の敗戦がサヨナラ・・・しかし、まだ二勝一敗一分なんで分からないですね。初回にブラウン監督が退場になったんで仕方ないですね。

さて、そんなカープの本拠地は広島です。その広島は戦中アメリカによって原子爆弾が落とされました。それは、皆さんもご存知だと思います。北朝鮮による飛翔体発射で核がうんぬんと言われましたが北朝鮮が核を持っていて脅威ならアメリカが持っていても脅威ではないのでしょうか?と考えています。

世界の平和を築くには核の廃絶が大きな課題です。

みなさんは平和ってなんだと思いますか?

いろいろな平和があると思います。

僕の考える平和は地球上の全ての人類が暴力に脅かされる事のない状態です。もちろん、どんな圧力も無い自由がある状態です。

戦争・紛争・ケンカ・虐待・DV・いじめ・体罰そんな非人間的なことがない世界・・・

草の根の平和運動が集まりそれを作ると思います。

ここで平和運動について言わせていただきたい。

平和運動は階級闘争だと思います。

なぜか?戦争があれば平和ではないです。

戦争が起これば兵隊が必要です。

兵隊は戦争に行けば殺される恐れがある。

一般市民は敵国の攻撃によって殺される恐れがある。

それは、双方の国に言えることですが。

戦争によって一番被害を受けるのは一般国民です。

一般国民は大抵が労働者(農漁民・自営業者・学生等含む)です。

労働者は戦争をさせない努力をしないといけません。

それが、労働者階級の利益になるからです。

では、どのような努力をすればいいのか?

政治を労働者の立場に立った側に移せばいいのです。

つまり、政治闘争ですね。

自民党は侵略戦争を美化しアメリカの言いなりで日本にアメリカ軍基地を置いたり、思いやり予算を出し、戦争をしないと決めた憲法九条まで変えようとしています。そして、大企業には減税を進めています。

この点を見ても労働者の立場に立っていないことは明らかです。
憲法九条を変え戦争を行えるように自民党・アメリカ・大企業は企んでいます。

そのような、侵略戦争美化アメリカ言いなり大企業中心の政治から労働者をはじめとする国民中心の政治に移せばいいのです。そうすれば、戦争と言う事は行われなくなる。

憲法が古い?では、聞きますが人間が誕生して間もない頃は暴力による解決という手段が横行していたのではないか?憲法制定までの歴史も戦争だらけだったんではないのか?

憲法で決められた非暴力による平和的解決と暴力的解決(戦争)はどちらが古いのだ?

明らかに前者ではないだろうか?

軍隊がないと攻められたら困る?では、最後に日本が先に攻めず敵国から攻められたのはいつですか?調べた所700年ほど前の元の襲来となっています。これでも軍隊がないとダメといえますか?

たとえ、言葉は違っても同じ人類であり互いに言葉の通じる者だ。
戦争でなく言葉によって解決をするのが良いのではないだろか?

多くの問題(北朝鮮の拉致問題もあるが決して暴力に頼ってはならない。平和的外交的努力をすることが解決を早めると思う。)もあるだろう。

それらも、一歩づつ対話によって解決すればいい。

世界的に見ても平和的解決が主流になっている。

平和な日本を築くのは我々だ

反戦・平和を訴え労働者の立場に立つ政党に票を託せばいいのだ

国会に我々の代表者を送ろうではないか。労働者の代表者を・・・。

そして、いつかは戦争も紛争もいかなる暴力も無い世界を築こうではないか!!

(プロレタリアアーティスト)
PS・阪神にカープが負けて熱が入って少し長くなりました・・・読んでくれてありがとう。
posted by ツッキ− at 23:28| 大阪 ☀| Comment(6) | TrackBack(3) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月04日

のんびりと

 今日は、桑田佳祐の「ROCK AND ROLL HERO」を聞きながらパソコンをいじってました。めっちゃアツい歌がいっぱい入っているアルバムでした。アメリカ依存の日本を批判する歌をかっこよく歌うなんてなかなかできないよな〜と。

 新年度ということでバタバタした日が続きましたが、あわただな日常から少し離れた日となりました。
 
 またがんばります。

今日はあっさりなうご
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2008年11月28日

no-title

鍋の季節ですね☆

だいぶ寒くなってきましたね!そして忘年会シーズンでもあります。やっぱりこの季節段々鍋が恋しくなります☆
みなさんはどんな鍋が好きですか??民新でもけっこうこの季節鍋の紹介してますね(^O^)私は海鮮キムチ鍋が好きです!心も体もポッカポカってかんじです!これまで民青のみんなでなにか食べる時は、だいたい鍋かカレーかタコ焼きかってところでした(笑)でも特に鍋はいぃですね☆みんなで一つの鍋を囲んで箸をつつきながら食べると親近感がもてます!場が和んだら悩みや夢や日本の将来を熱く語れます。心も体も議論もヒートアップ!ですねo(^-^)oわたしの班に新しいメンバーが増えたので歓迎会は鍋とかやりたいと思いま〜す!

JC
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2008年09月04日

「僕は大学に行くために戦争に行った」

少し前の話になるのですが、イラク帰還米兵アッシュ・ウールソンさんの講演会に行ってきました。
彼は今26歳で、9条を守るために今の日本に来ていると言いました。

軍隊には7年いて、イラクに一年間行ったそうです。

アメリカでは、第二次世界大戦における原爆投下は正当化されて教えられたそうです。彼もそれを信じていた。でも日本に来て、広島の原爆資料館に行ったりする中で、人を殺すことは決して正当化されないことだと悟ったそうです。

アメリカでは学費が値上がりし、貧しい家の子どもは大学で学ぶことが難しい。一方で、軍隊に入ると食事にも困ることなく、しかも学費を援助してもらえる、といううたい文句で兵士になる人が多いそうです。
アッシュさんは、最初は災害救助をする軍に入ったのに、イラク戦争が始まると人手が足りないためにイラクで戦うことになったそうです。

イラクでは、米兵がイラクの人たちを人間と思わないようにさせたり、イラクの人たちを危険だと思わせたりしてたみたいです。
日本でもドイツでも同じようなことしてた気がする。

そしてイラクから帰ってきた米兵はPTSDやうつ症状に悩み、自殺する人が一日平均17人もいるそうです。
また、アメリカのホームレスの三分の一が帰還兵らしいです。(ベトナム戦争とかも含む)
アッシュさんは、帰還兵が日常生活に戻ることは不可能だと言っていました。



私は、アッシュさんの話を聞いて、何でこの人はPTSDとかうつ症状が出たりせぇへんのか、すごいな〜〜強いな〜〜って思ってました。
でもその後の関係者の説明で、アッシュさんも戦争のことを忘れたくて、でも伝えなければいけないと思うから、苦しみながら話をしていると知りました。

やっぱり、戦争を経験して平気な人なんていないんだと思います。
みんな、何らかの形で苦しむ。
そんな人をなくしたいから、平和の活動をするんや、
自分もがんばろう、そう思えた講演会でした。


もよもよ
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2008年08月21日

原水禁に参加して!!

8月4,5,6日と広島で原水爆禁止世界大会に参加しました。
この原水爆禁止世界大会では、各国の国の方がたくさん参加され
核兵器廃絶の声をあげていました。

今から63年前の8月8日、8月9日、広島・長崎に原子力爆弾が投下されました。

尊い命が一瞬にして奪われました。
この出来事は、決して忘れてはいけない事であります。

この世界大会では、核兵器を全世界から廃絶への声が上がっていました。

核兵器は、一瞬にして人生を狂わす意味のない物です。
皆さんぜひ核兵器のない世界にしましょう。
また、これから新しい署名もありますのでいろんな方に知らせていきましょう。http://www.antiatom.org/sig/shomei-j.pdf


                     


                       イッシー
posted by ツッキ− at 14:54| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月08日

1945.8.6

皆さん、お久しぶりです。

しばらく、旅行に行っていました。



どこに行っていたかと言うと

我らが、聖地広島(僕はカープファンなんで)

でも、野球を見に行った訳ではありません

では、何をしにいったかと言うと

原水爆禁止世界大会2008に参加するためです。

ヒロシマに1945・8・6に投下された原子爆弾は

ご存知ですか?

アメリカ軍の飛行機エノラゲイ号と記録係の飛行機の編成を組み

原爆(通称、リトルボーイ)を広島上空で炸裂させました

よく、爆心地は原爆ドーム上空と思われがちですが

実は少し離れた嶋医院が爆心地です。

そして、原爆によって広島では14万人、三日後の長崎では7万人が

あわせて21万人が亡くなりました。

そのような恐ろしい核兵器をこの世からなくす為に行われているのが

原水爆禁止世界大会です。これは1955年に最初に開かれて以来

今も、そして、今後も開かれえるでしょう。核兵器がこの世から消えたとしても


では、ツアーレポを書きたいと思います。

今回は青年のツアーで参加しました。

行き帰りは高校生のツアーのバスに同乗し現地で別行動と言う形でした

8月4日朝6時半集合45分に出発予定でした。

しかし、出発したのは7時45分・・・・

一人の高校生を待つためです・・・・

まぁ、いいんですが

一切謝らない高校生を見て少し機嫌が悪くなりました

全員が揃って出発し途中休憩をとりながら広島に着きました

お昼ごはんは、ウィーダーインゼリー・・・

広島で最初に向かったのは原水爆禁止世界大会2008開会総会

ここには世界中の人が集まります。

そして、各国代表が自国のことを話します

各国の代表の方の話を聞いて感じたのは

「核兵器をなくそう」でなく「核兵器はなくせるんだ、絶対なくす」と思っているのが

分かり、影響を受けました

核兵器廃絶と言う一致点で連体を進めなくてはダメだとも思いました。

その後、「世界青年の集い」に参加

出だしがグダグダで心配になりました

途中で、一緒のツアーの参加者がシンドイと言い出し

集いの実行委員の人に休憩できる部屋がないかの確認等で動き回ったため

まともに話を聞けませんでした。

しかし、他府県の取り組みを聞け非常によかったです

「他の県が頑張ってんじゃ、僕らもやらんとダメじゃ」と思い地元・大阪での活動を

考えました。

それが終わって宿舎に。宿舎でコンビに弁当を食べ風呂に入ったりして

就寝

七時ごろに起床、朝食を食べ世界大会分科会に参加

僕は被曝者の方の話を聞く分科会に参加しました。

今回、話を聞いた被爆者の方は2歳の時に被爆されました

しかし、被爆されたときの事をよく覚えてはりました


「爆心地から三キロ地点の自宅トイレで被爆

怖くなり母親の所に行き母親のおなかの下にもぐりこむ

兄弟も一緒に母のおなかの下にもぐりこむ

広島は壊滅状態

父親は屋外で被爆

父親の田舎にて暮らす」ほかにも細かい被爆についての話はありましたが

長くなるのでまたの機会に書きます

最後に、その方が言っていたのは

「昔は、被曝者は汚いもの扱いだった、今は違う」

今後も各地で話をしていくとおっしゃっていました。

その後に、グループ討論をしました

少ない人数、少ない時間でしたが

なかなか色々な意見が出て

勉強になりました。

分科会が終わり

平和資料館に行きました。

人だらけ、途中で国会議員のセンセイを見ました

広島で習得した新ネタ「タマとったる!!」がシャレで済みそうにないくらいのSPの警備・・・

資料館の感想は言葉に出来がたいので思う事を書きたいです

僕が最初に資料館へ行ったのは10年前

銀行前で開店を待っていて被爆された方の影が焼きついた石があります

それが年々薄くなっているような気がします。

年々風化する原爆の爪痕、しかし原爆の恐ろしさは風化させちゃいけないと

再認識しました。その後、世界青年の集いパート2に参加

微妙でした・・・

その後、お好み焼きを食べに行きましたが。

これも微妙、皿に乗ってお好み焼きを出す神経が分かりません・・・・

宿舎に戻って、感想を交流

そして、就寝

起床し朝食、出発、平和記念式典へ

しかし、交通規制の為に平和記念式典は参加できず・・・

原水爆禁止世界大会閉会総会に参加

弁当の手配などで途中抜けましたが

多くの国々の決意、日本各地の取り組みを聞け再度燃焼し始めました

そして、土砂降りの中大阪に帰ってきました。

色々ありましたが、いい経験になりました。

地元で「核兵器のない世界を」署名を集めたいと思います。

広島、長崎以外にも実験によって多大なる被害を受けた国があります。
そんな、悲しき事、非人間的なことはやめさせないといけません。

広島の平和公園で今日も燃える原爆の火が一日でも早く消える事を願い行動したいです。

最後になりましたがカンパを下さった方。ありがとうございます

(吉兆のプロレタリアアーティスト)
posted by ツッキ− at 23:19| 大阪 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月02日

NO title

8月です平和というものはただでは手に入らないものだとつくづく・・・(むきめー
posted by ツッキ− at 06:43| 大阪 | Comment(2) | TrackBack(0) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月24日

愚痴とおすすめ!!

夏日のなかで飲料水をバカのみしないとやっていけないスノーマンです。


原水爆禁止世界大会は知っている人は多いと思いますが…私、今年も行けません。。。
原水爆 早くなくなれ!世界から!!そう強く感じれる大会なのでみんなに参加してほしいです。 あの8月6日と8月9日は国民一人ひとりが原水爆の事を真剣に無くすことを考える機会として祝日ではなく、『国民の休日』にしたらいいのにって思ってるきょうこのごろです。そうなれば参加できるのに…。
とにかくおすすめです。原水禁行ってみてわ!?
posted by ツッキ− at 23:45| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月11日

学費無償の流れへ

7月11日付けの赤旗1面に年収400万円以下の家庭の学生の授業料が無料になる制度か始まった東大で、全額免除者が前年に比べて1.7倍に増えているそうです。半額免除の学生も4.7倍です。
高学費に苦しみ学びたくても学べない学生が溢れるなかで、東大のこの取り組みは画期的です。背景には切実な要求に基づく学生の運動があります。
また同じ1面に、大阪の私学助成削減に反対の声をあげる高校生ら1500人が集会を開いたという記事がありました。『笑って高校に通える明日をください』『未来を壊さないで』と訴えました。橋本知事は高校生の想いに背き、運営費助成について高校で10%削減する案を本格予算案に盛り込んだそうです。
大阪の、日本の未来を担う若者たちが、おもいっきり自分の力や可能性を伸ばせるよう学びの場を保障することは、国と地方自治体の責任です。今、貧困と格差が広がるなかで学費無償の要求が切実であり、その流れが生まれています。東大の取り組みを特別なものとせず、 当たり前の制度として根付かせるためにもみんなで声をあげ大きな流れにしていきましょう!

JC
posted by ツッキ− at 22:30| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(2) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月04日

平和行進

昨日は堺市内で行われた
泉州平和行進に参加しました。

平和行進とは原水爆廃絶、世界平和を願い日本中をくまなく歩き、広島や長崎を目指すという運動です。

僕は堺だけ歩きましたが、中には全国通しの行進者(いわゆる通し行進者)や大阪府をすべて歩く様な意志の強い人も居ます。


堺市では毎年7月3日に
平和行進があるようです。

久しぶりの参加になりました
(前回は確か小学二年生)

声を出して平和への気持ちをアピールしてきました。




平和行進は今年で50周年を迎えるようです。
http://www.antiatom.org/peacemarch/

日本人、世界人類にとって原爆は他人事じゃありません

皆さんもこれを期に考え直してみてはどうでしょう?

(プロレタリアアーティスト)
posted by ツッキ− at 21:24| 大阪 ☀| Comment(5) | TrackBack(1) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月03日

堺空襲犠牲者殉難地追悼会

最近ぐーたらから脱却しかけてるスノーマンです。

長いタイトルでしたがその日が一週間後になったのでお伝えしたいと思います。

堺には5回も空襲があったことは知っていますか。特に4回目…、1945年7月10日未明の空襲は大規模で、死者1860名、全焼戸数1万8009戸、罹災人口7万人という大惨事となり、堺大空襲と呼ばれています。
この追悼会は、堺空襲でなくなった人々を追悼し、空襲体験や平和の尊さを次世代の子どもたちに伝えようと 1986年 から始められ、今年で23回目を迎えます。

☆日時:7月10日(木) 午後6時30分

☆場所:南海本線堺駅南詰 歩道橋上

第23回平和祈念日
posted by ツッキ− at 10:58| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月26日

現近版朝鮮通信使

「平和って大切なことや」とこの時期暑いけど朝の涼しいこの時間に感じてるぐーたらスノーマンです。

一昨日チョッポ(族譜)を見にいきました。内容は6月17日の正助さんが書いているので はしょり ます。(笑)その後に打ち上げで韓国9条の会が発足していて今、中心のメンバー25人ぐらい来てもらいまた日本の朝鮮通信使の通った道を巡るツアーが10月30日にやると発言がありました\xF8頽陲椶\xAFはいくら政府が戦争をできる国に変えたとしても戦争をしようとしている両国の民衆どうしが仲がよかったら世論がそれを許さないと思うのです。


もちろん戦争する国になろうとしてる動きには先手をとって反対の動きをしないといけないと思います。
チョッポの劇の中にはこういうことを言ってはりました。「文をもって武に報いる」と…両国間の文化交流とともに平和を考えていきたいですねぇ( ̄▽ ̄)/
posted by ツッキ− at 07:53| 大阪 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 平和運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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