2008年02月28日

Die Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur Wissenschaft そのD

「空想から科学へ」(エンゲルス著)

エンゲルスの「空想から科学へ」について書いています。未見の方はこの回だけ読んでも意味不明なので@〜Cをお先にどうぞ。

さて時代は進み、資本主義的な生産様式は螺旋状の動きを描きながら社会の大多数の人間をプロレタリアへと転化してゆきます。
生産の無政府性故に資本家による資本家の収奪が際限なく続き資本家階級の中からも没落が相次ぐからです。
(今の高度に発達した資本主義社会の日本を見れば簡単にこの事は理解出来ると思います)

生産手段を握る故に労働者を意のままに縛り付ける資本家。
そしてその生産の無政府性からしばしば現われる恐慌や、世間を覆う貧困。
この解決の為の道徳的な妥協を、漠然とした理解から資本家に求めたのが、先の空想的社会主義者達でしたが、ここまで読めば資本主義にその解決を自然に求める事は不可能である事を悟ります。

資本主義の中では更なる富への欲望の為に、労働者はボロ雑巾の様に虐げられる宿命なのです。

そしてエンゲルスは語ります。
「恐慌が、ブルジョアジーには現代の生産力をこれ以上管理する能力が無い事を暴露したとすれば、大規模な生産施設と交通施設が株式会社やトラストや国有に転化した事は、その目的の為にはブルジョアジーがなくてもよい事を示している」

そして・・・
資本家のすべての仕事は使用人で出来る事、収入を取り込むこと、資本家同士の争いの投機をする事、以外は何も社会的な仕事は無いのだと。

生産は社会的に行われながら、生産物は資本家に私的に取得される故に起こる資本主義の矛盾。
ですから、この労働者の痛苦を取り除くには(実は居なくても社会的に構わない)資本家階級の持つ生産手段を、生産が社会的に行われているという事実に合わせ、生産手段を社会の管理に移すしかないのです。

ここからは僕の私見ですが、科学的社会主義を深く勉強した経験の無い人には上記の話を本当の意味で理解するのはかなりのハードルだと思います。
何故ならば今は資本主義の真っ只中にあり、日本人の全てがその中にドップリと浸かっているからです。

言うなれば「森の中に居て、森に起こっている問題を見出し、森の将来の理想的な姿を掴む」という感じでしょうか?
この事を本当に腹に落とし、自分の血肉とするには、やはり「空想から科学へ」でも多くの文量を割いている弁証法的唯物論を理解するしかありません。
そうでなければ、現状を見据え、発展的な未来を見出せないからです。

参考にフォイエルバッハ論という本の中のエンゲルスの言葉を紹介しておきます。
「世界は出来上がっている諸事物の複合体としてでは無く、諸過程の複合体として捉えられねばならず、そこには見かけの上で固定的な諸事物も、われわれの頭脳にあるそれら諸事物の思想上の映像、つまり概念におとらず、生成と消滅の絶え間ない変化の内にあり、この変化のうちで、見掛けの上では偶然的なすべての物事にあっても、またあらゆる一時的な後退が生じても、結局は一つの前進的発展が貫かれているという偉大な根本思想・・・」
(余談ですが僕はこの言葉が大好きです)

この哲学を理解し社会や歴史を見れば先の「生産手段を資本家から社会の管理に移す事」への違和感はきっと霧散すると思います。

次回最終回
投稿者:堺泉北カープ会


posted by ツッキ− at 22:00| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学的社会主義の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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